学問と論理8(ギリシャの合理主義1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-
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3-1‐2-2.ギリシャ
古代ギリシャは、地中海貿易で利益を蓄えた自由市民たちが大小いくつもの都市国家を形成する、当時としては、そして、現在においても非常に珍しい政治、社会制度が成立した地域でした。その都市国家における政治制度は、自由市民による共同統治、つまり、共和制が布かれ、世界最古の民主主義として、そして、現在に至るまで民主主義の模範として、多くの国々の統治のあり方に影響を及ぼしてきました。その影響を受けたのは、民主主義国家のみならず、君主制、あるいは専制国家までも様々な教訓を古代ギリシャから学び取ってきました。それは、古代ギリシャがその繁栄、とりわけ、学術的な分野で世界史において類稀な成果を残したために、その秘訣について多くの学者が研究してきたからです。
古代ギリシャ人の誇りは、他国の多くの人民がある君主、ある独裁者に仕えていた時代において、自分たちが誰に仕えることもない自由民であることでした。つまり、古代ギリシャ人には、他国民は君主、あるいは独裁者の言いなりにならなければならない、しかし、自分は違う、自分の主人は自分自身であり、誰の言いなりになる必要もない、自由があり、自由こそが誇りだという気概があったようです[参考文献:たのしいすうがく2 不完全性定理 数学体系のあゆみ,p3]。そして、その自由のおかげで、他国民が君主、あるいは独裁者の顔色を見て言いたいことも言えない状況であったのに対して、古代ギリシャ人は、原則的に誰の顔色も伺うことなく、多数の市民が互いの意見を言い合うことができました。実際に、様々な場所、広場において自由闊達な議論が市民の間で交わされていたそうです。そして、その言論の自由のおかげで、様々な議論を経る中で、各人の多様な考えは洗練され、学問の発展に結びついていくことになりました。つまり、古代ギリシャにおける学問の発展の秘訣は、言論の自由、そして、それを支える市民の政治的な自由にあったわけです。
一人の政治的、あるいは学問的でも同じですが、権威ある人がその権威で物事を進めるのであれば、その人の意見には、根拠や理由は必ずしも必要はありません。その意見に人は従い、その成否はありますが、どちらにせよ、実際に物事は進んで行くからです。しかし、自由を持つ人が二人いる場合には、そうはいきません。二人で共に物事を進めるためには、互いの意見の一致を得る必要があり、そのためには、その意見が正しいことを互いに認め合う必要が生じます。そこで、ある意見が正しいことを証明するために、あるいは、より互いに認め合える意見を作り上げるために、その意見に関係する互いにより確かだと認め合える意見や事実を探し、それを互いに認め合える意見のための根拠や理由とする必要が生じます。そして、その繰り返しが議論であり、物事の本質的な要素や構造、全体像を明らかにして行くことに繋がっていきます。そして、古代ギリシャの人、ソクラテスはこのような自由市民同士による議論を通して、あることに気付きました。
ここでは、まず、ソクラテスの人となりから説明しますと、第一にソクラテスは義人として価値のある人と言えます。というのは、彼の哲学で最も関心を持っている事柄は、道徳や倫理であり、ソクラテスの中~晩年は、ギリシャのアテネという国がその繁栄から衰退へと向かい始めた時期と重なり、その原因をソクラテスは、人々の驕りにあると見ていました。アテネの繁栄は、繁栄と同時に人々に豪奢で堕落した文化であったり、自分たちが軍事的にも財政的にも強固な国であるという過信であったり、最も学問が進み賢い国であるといった、つまり、人々に驕りをもたらしていました。そこで、ソクラテスはその驕りを戒めるように説いて回り、最後には刑死させられてしまうという人物だからです。
ただ、ソクラテスの第二の価値が、道徳的な警鐘家であること以外にもあります。道徳には学問が不要ですが、逆に、学問には道徳が必要と言えます。それは、研究倫理という観点からのみならず、学問自体が人によって追及されるものであるからこそ、基礎的な部分で学問の質は、それを行う人の学問に対する姿勢、道徳的な側面と不可分であろうと思うからです。そのような学問の基盤ともいえる部分で、ソクラテスは重要な仕事を成しえたと感じます。具体的には、人の知恵の限界、学問における人の限界があることに気付き、さらに、問うという行為でそれを確かめることができると気付き、実際に、それらを行動によって確認したことです。ソクラテスは、道徳的に、自らの知識が完全であると思う人の驕りを戒めたのですが、同時にそれは、学問的に、その人の知識の不完全な点を明らかにし、知識をより洗練させていく行為でもあったわけです。
実際のソクラテスの考えや行いを追ってみますと、次のようになります。ソクラテスは、ある物事について、誠実に考えを進めてみると、つまり、他者と議論をするのと同じように、自分の理解を自問してみると、実は、小事についても大事についても自分は深い理解を得ていない、いや、むしろ、自問を突き詰めれば詰めるほど、ほとんど何も知っていないことに気付きました。そんなときに、宗教的に敬虔なソクラテスは、「ソクラテスこそが最も賢い人である」という神託を受けました。そこで、ソクラテスは戸惑います。自分は何事においても深い理解を得ていない、とくに、重要な事柄、例えば善や美については何も知らないと言ってよい、そうであるのに、どうして、何も知らない人間に対して最も賢いという神託が下るのかと。
そこで、ソクラテスは、ギリシャで活躍する様々な人々、とくに知者や学者、物事を誰よりも詳しく知っていると公言している人々を訪ね、その知識が自分のものよりも深い理解を伴ったものかを確かめて、神託の真偽を確かめようとしました。しかしながら、その知識を問い質してみると、どの人も一様に自分と同じく、深い理解はなく、とくにソクラテスが重要だと思う事柄については、何も知らないに等しかったのです。そこで、彼は神託の意味を確信しました。つまり、様々な知者や学者、その他の権威ある人々は何事かを知っていると公言しているが、それを問い質して確かめてみると、彼らはほとんど何も知らずに知っていると思い込んでいるだけだった。私は、実際のところ何も知らなことについては知っているので、その点においては彼らよりは優れている。神託が最も賢いと述べたのは、私が自分が無知であることを知っている点についてだったのだと[参考文献:ソクラテスの弁明 クリトン]。
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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年3月02日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年3月02日