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学問と論理3(科学の必要性1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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3-1-1-2.科学の必要性

人は人と共に生きると同時に、広い意味での自然、この世界の中で生きています。つまり、人は裸で生きているのではなく、人を取り巻く自然の仕組みを探求し、その仕組みを応用して物を作り、作った物を利用して生きています。自然の仕組みを探求することが科学であり、科学を応用して新しい物を作ることが科学技術であると思います。科学は、結果が物質的に目に見えて分かりやすいことから、日本の教育においても明治以来、重視されてきたと言えます。しかしながら、科学の目に見える部分、明確になっている科学の表層、つまり、科学研究の結果として発見された知識を学ぶ、あるいはそれを応用するための教育は十分に行われているのですが、科学の目に見えにくい部分、科学の思想的な構成要素、つまり、科学的な知識を生み出すために必要な科学研究の考え方や手法、取り組む姿勢を学ぶ機会がとても少ないという問題があるかと思います。

それは、科学分野に関わらず、義務教育において既定の知識の習熟に力を入れて、不定の知識の検証や吟味の仕方をあまり重視しない姿勢と文理を横断した同じ問題点であると思います。一言で言えば、後の章で詳しく説明する合理主義的な観点からの教育が軽視されているのだと思います。ともすれば、科学者や技術者を目指す若者が、中学、高校、大学の教養課程で科学の土台を支える合理主義、批判精神、経験主義、実証主義などといった考え方にまったく触れることなく、専門研究に進んでしまうことも考えられます。そうすると、相応に科学研究の質は落ちると思いますし、せっかく科学研究を通して身に付けられるはずの高度な論理性も習得しづらく、あるいは、その論理性を他分野にどのように応用して良いか分からずに困惑する場合もあるかと思います。さらに、科学技術分野においても、科学的な研究よりも経験的な技術を重視しがちになる、日本社会の一部で見られるような傾向が生まれてくるのではないかと感じています。

例えば、日本人の多くには、真面目で誠実に仕事に取り組む美徳、職人気質があるので、手仕事の習熟は、他国の工員に比べて目を見張るものがあります。しかしながら、だからといって経験的に獲得された技術を高めていくことが、科学的な研究による成果よりも大きな効果を生むということはないだろうと思います。つまり、論理的に細分化され、明確化され、反復してその再現性を確かめられた科学的な知識は、根拠が不明確で一個人の経験に裏付けられた経験的な知識よりも、たとえ、その検証により多くの手間がかかり、限定された分野においては一時的に劣ることはあっても、結局は多数の人々に共有され集積され洗練されることで、科学的な知識は経験的な知識を追い抜いていくと思います。とくに、複雑な物作りになればなるほど、科学的な知識の方が効果を発揮することが、科学の優位性として認められると思います。

これは、先ほどの数学、プログラミング、工業生産、法律などと同じで、合理主義の典型的な考え方と言えます。つまり、確実性が検証された知識は、別の確実性のない知識の根拠になりえるので、知識の帰納的又は演繹的な推論、少し言い換えると知識の明確化又は展開を可能にするということです。数学で言えば、公理と各定理と理論全体、プログラミングで言えば、汎用オブジェクトと各オブジェクトとアプリケーション全体、工業製品で言えば、基礎部品と各部品と製品全体、法律で言えば、憲法の基本原理と法律の各条項と法令全体に置き換えられるのではないかと思います。さらに、どの場合であっても、抽象的な前者は複数の具体的な後者を構成することができる、つまり、効率的な応用が可能になっています。この明確化や展開、効率的な応用のために、目の前の問題の解決だけに捉われず、手間や時間がかかっても、一つ一つの知識の確実性を検証することが大事になってくるのだと思います。そして、これこそが合理主義や科学の出発点であり、大原則であると言えます。ここで何を言っているのかよく分からなくても気にしないでください。後の章で合理主義、論理、科学については詳しく説明したいと思います。

したがって、科学を学ぶ必要性の大きな理由の一つとして、科学の勉強を通して、合理的に物事を考える力を養うことを指摘したいと思います。しかし、それは意識的にその能力を習得しょうとすることが大切であって、漫然と科学知識を増やしても、ある程度、養われるに留まるかと思います。つまり、後の章で説明するような具体的な合理主義の考え方や手法を学び、それを科学の勉強を通して意識的に身に付けさえすれば、科学の勉強や研究ほど、合理的に物事を考える力を伸ばすことができる訓練の場はないと思います。そして、その基礎的な能力が結局は、科学研究の成功やそれ以外の分野への応用にも繋がっていくのだと思います。

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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年2月15日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年2月17日