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学問と論理10(西洋近代と現代の合理主義1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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3‐1‐2‐3.西洋近代と現代

ユークリッドの原論の功績は、枚挙に暇がないと言えるほど、後世の学問の礎になりました。数学の世界で言えば、この形式が長く数学書や論文の模範となり、さらに、現代では、公理や公準を徹底的に突き詰めて、公理のみから数学理論を構成しょうとする公理主義が一般的な数学の理論形式となりました。そして、その綿密な分析の結果として導き出された公理や論理の精密さが、つまり、曖昧さのなさが、大定理や大理論を構築する上での要となり、現代数学の基礎を支えています。くわえて、公理に対するさらなる洞察や修正は、新たな数学を発見したり、構築するための一つの方法論にもなっています。ただ、余談ですが、前述のとおり、現代においても公理は証明のない、実際には仮定なので、私としては、公理主義という言葉は誤解のないように、とくに初学者に伝える際には、一時的にでも仮定主義あるいは仮定的公理主義などと、言い換えた方が良いのではないかと思ったりします。

科学の世界で言えば、ニュートンの思考法や最大の著作であるプリンキピアには、ユークリッドの幾何学が用いられているだけではなく、その論理的な構成法、運動の諸原則から説き始める形式も同じで、ニュートンあるいはその時代の科学者がユークリッドの原論を一つの模範としてよく勉強、あるいは研究していたことが伺えます[参考文献:たのしいすうがく2 不完全性定理 数学体系のあゆみ,p29]。さらに、アインシュタインの著作を読んでも、彼がいかにユークリッドの原論、幾何学を物理学の出発点として尊重し、そこからインスピレーションを得ていたかが分かります。とくに、彼の特殊相対性理論の論文の論理構成の簡潔さや、一般相対性理論がユークリッドの原論の公理の一部を修正することによって完成された事実は、その裏付けになると思います[参考文献:わが相対性理論]。

数学とは異なる分野と思われる法律の世界であっても、ユークリッドの原論との直接的な影響は証明できませんが、同じ論理的な方法論が取られました。例えば、近代における法学の先駆的、歴史的な仕事を残したモンテスキューは、著作、法の精神において彼は、人間、事物を省察し、その本性からいくつかの原理を導き出し、あらゆる国民の歴史、個々の法律がその諸原理から演繹的にもたらされることを発見した、という趣旨のことを述べています[参考文献:法の精神 上]。これはつまり、法学という社会・政治学的で複雑性の高い学問においても、ユークリッドの原論のように、あるいはアリストテレスが論理学で説いたことかもしれませんが、考察対象から原理を発見し、その原理によって演繹的に考察対象を論証する手法が有効であるということを、高らかに宣言したとも言えると思います。ちなみに、モンテスキューが著作を法の精神と名付けたのは、結果として現れる外面的行為とその原因としての内面的精神との相互関係を、結果として現れる法律とその原因としての隠れた法律の諸原理に置き換えて、その隠れた法律の諸原理を明らかにするという宣言、意図もあってのことだと思います。

数学や科学、法律以外においても、ユークリッドの原論は、デカルトの合理主義によって、現代のすべての学問の基礎へと繋がって行きました。デカルトの合理主義は、物事をユークリッドの原論のように考えようとする、つまり、物事をより確かな根拠に、曖昧な全体を確かな部分の繋がりに分解して考察しようとする方法を、数学だけではなく、他の学問、すべての物事の考察においても適用しようとしました。デカルト当時の学問は、ただ過去の、ギリシャやローマの古典的な研究や文献を根拠に引用して、それで議論を済ましてしまうような、不正確で発展性のない先例主義、権威主義に陥っていました。それに対して、デカルトは、しっかりと根拠を自らの頭、理性で吟味し、その正しさを確認して用いれば、学問はより信頼に値する、発展可能なものになると主張したわけです。つまり、彼は、当時の先例主義、権威主義を打破するために、ソクラテスに始まるギリシャ時代の合理主義、とくにその最も洗練された論理構成を持つ数学、少なくとも間接的にはユークリッドの原論を模範として着眼し、結果として、合理主義の再興、さらなる洗練を成し遂げることに成功しました。そして、デカルトの合理主義は、西洋近代の学問を発展させる基礎となり、以降の西洋近代の学問は、デカルトの合理主義を一つの再出発点とすることになりました。

ちなみに、デカルトの著作である方法序説の第二部の文面や、デカルトがユークリッドの幾何学を代数的に解析する代数幾何学、現代の中学生でも学ぶ数学のグラフや座標を創始したことからも、当然彼は、間接的にではなく直接、ユークリッドの原論をかなり深く学んでいただろうと思います。このデカルト座標がなければニュートン力学もないわけですから、デカルトは科学の分野においても大変な仕事を成し遂げています。

話を戻してデカルトの合理主義について、もう少し詳しく説明すると、デカルトは、論理学と幾何学と代数学の長所と短所を考慮して主に四つの規則からなる思考方法、デカルトいわく「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法」を、諸々の学問に適用できるものと期待する、として提示しました。具体的には原著に目を通して頂きたいのですが、そのうちの第二、第三の規則は、数学のように、単純で認識しやすい事柄から順序を追って、複雑で認識しにくい事柄を考える方法の重要性を説き、逆に、複雑で認識しにくい事柄は、単純で認識しやすい小部分に分解して、その関係を整理して、常に推論の前後の順序を想定して考えていく、という趣旨の方法を提示しています。加えて、順番が前後しますが、第一の規則に戻ると、論理学の基礎、合理主義から着想を得たと思われる方法として、人の考えには誤解や偏見が混ざり込んでいるので、理性によって注意深く知識の真偽を検討し、自分が本当に正しいと思えることのみを受け入れる、という趣旨の方法を提示しています[参考文献:方法序説]。この第一の規則は、ソクラテスが説き、アリストテレスが継承し、ユークリッドが継承していると思われる無知の知、問答法とよく似ていますが、ほんの少し、それよりも過信を感じる気もします。

デカルトは、自ら提示したこの方法によって、自分の理性を最大限によく用いることができていると確信したと述べています。このような著述からも伺えますが、デカルトは、知識の真偽の判断基準である理性について、万人が持っているけれども、その用い方にこそ、正しい正しくないがあるとする意見を持っていました。万人が公平、平等、完全な理性を持っているという前提があって、その理性を正しく用いる方法として、「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法序説」を、略して「方法序説」を著したわけです。それに対して、経験主義という立場から、理性そのものも経験によって培われる知識であることを免れ得ないので、一律に同じ理性を前提とすることはできないのではないかという批判もされました。たしかにそれは的を得た批判であると思います。しかしながら、基本的に、デカルトの方法論である、注意深く知識の真偽を検討して、あるいは極端な場合には、批判的に知識を疑って、それによって真理を探究する、という方法自体は西洋近代の学問の基礎となりました。




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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年3月02日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年3月02日