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リベラルアーツを学ぶための勉強法

このページでは、リベラルアーツを学ぶための勉強法として、リベラルアーツの意義から学ぶべき知識、実際に手に取るべき本までをご紹介します。(L&M個別オンライン教室では著者による対話形式のオンライン授業も開講しています。)

【目次】
1.リベラルアーツの意義
2.リベラルアーツの勉強法
   2-1.学ぶと良い知識について
   2-2.学ぶと良い知識の一覧
      2-2-1.道徳と宗教について
      2-2-2.論理について
      2-2-3.数学と科学について
      2-2-4.法律について
      2-2-5.語学と文章と議論について
      2-2-6.最後に
   2-3.参考例題

リベラルアーツの意義

リベラルアーツとは、西洋の文脈での一般教養を指し、現代日本社会の土台となっている基礎知識でもあります。リベラルアーツを直訳すると、自由の技術(技芸)、つまり、学ぶことで自らと他者の可能性、自由を広げることのできる知識を意味し、西洋の伝統においては、主に大学の教養過程で学ばれることになります。ただ、リベラルアーツは、学科として何か固定された知識が確立されているというわけではありません。時代や定義する教育者の思想によって多様な提唱がなされてきました。

その淵源は、ギリシャ・ローマの自由市民としての教養、自由七科にあるとされていますが、近代における大学教育においては一言で表すと、自由な自己選択を支えるための考える力の養成といえるのではないかと思います。とくに、そのために必要な論理性と文章能力の養成がリベラルアーツの要になっていると思います。

リベラルアーツの勉強法

その勉強法としては、優れた教師による対話形式で生徒の論理性と文章能力の育成に主眼を置くことが通常です。対話形式は優れた教師の導きによって生徒に学問上の気付きを促す手段として、とても効果が高い教育方法です。ただ、決してリベラルアーツを身に付けるために必須であるわけではありません。優れた教師も大切ですが、優れた本を手に取ることや、本人の知りたい学びたいというやる気の方が大切なことは言うまでもありません。

学ぶと良い知識について

リベラルアーツは、学科として何か固定された知識が確立されているというわけではないと指摘しましたが、一方で、自由な自己選択のために必要な考える力の養成には、論理性を身に着けることが必須であり、さらに、現代における自由な自己選択を行うためには、例えば科学に対する知見がなければならないのは明らかです。

そして、その論理性を身に着けるためには、ギリシャ以来の哲学の系譜としてソクラテスを学ばなければおかしく、科学に対する知見を身に着けるのにデカルトを知らなければおかしい、というようにそれなりにリベラルアーツとして必須の知識というのは生じてきます。それらは、どの知識も嘆息するほどに洗練され、理解し、身に付けるには多大の労力を必要とします。しかし、その入り口を知っていることは、この社会で生きて行くために必要なことばかりです。つまり、考える力を磨くことにもなります。

リベラルアーツに必須の知識は、明治期、旧制高校や旧帝大の学生さんたちが一生懸命、読んでいた類の本と言えば分かりやすい方も多いかもしれません。あるいは、緒方洪庵の適塾出身者の福沢諭吉、橋本佐内、大村益次郎らが新たな時代を切り開く能力を発揮したのは、一生懸命に何を勉強したからか、彼らの活躍は偶然ではなく、彼らはここで言うリベラルアーツの正体を突き止めようとしていたのだろうと想像します。

少なくとも私は、中高生あたりからずっとそのことに興味を寄せてきました。一つのきっかけは、バブル崩壊後の日本を目の当たりにして、この国に足りないものは何なのかという漠然とした疑問を持ったことです。ただ、その疑問は、文明や学問とは何かというより深遠な問い掛けへと目を向けさせてくれるきっかけに過ぎなかったのだと思います。そして、今ではやっと不完全ながらもそれなりの答えを知るようにもなったと感じています。

私が思うところの重要かつ必要な学科を具体的に列挙すると、そこでリベラルアーツを構成するのは、道徳と宗教に対する理解、論理に対する理解、数学と科学に対する理解、法律に対する理解、語学と文章と議論の能力です。

例えば、私の出身校である国際基督教大学「リベラルアーツ」の教育と比較したいと思います。大学制度は古くヨーロッパで生まれ世界各国に広がって行きました。各国の歴史と共に特色のある大学制度が育っていきますが、国際基督教大学(ICU)は現在でも米国に残るリベラルアーツ教育を行うことを主眼に置いたリベラル・アーツ・カレッジを模範にして戦後に生まれました。

ICUでは、対話形式の少人数授業で論理と英語と文章と議論の能力を高めるクラスを一年次に受講します。くわえてキリスト教と科学に関する必修科目があり、それ以外は文理を問わず好きな授業を選択しながらリベラルアーツを深めるという学制だったと記憶しています。おおむね上記の列挙と一致します。

優れた点としては英語と文章と議論の向上にはとても熱心です。一方で、道徳と宗教、論理、数学、科学については必修科目だけでは入門レベルです。受け身の姿勢では、下記に列挙する良書を一生懸命に独学した人の足元にも及ばないはずです。法律については必修科目もなかったと思います。もちろん、優秀な教師と設備がそろう理想的な環境であることは間違いないので、本人のやる気さえあればいくらでもリベラルアーツを深めていくことができます。

簡単な説明と共に各科目の良書を以下に列挙したいと思います。

学ぶと良い知識の一覧

道徳と宗教について

知識は良く用いれば人を幸せにし、悪く用いれば人を不幸にする道具のようなものです。では、その道具を用いるのは誰でしょうか。知識を用いるのは人の心です。良識なしに科学を用いた結果、そして、道徳なく法律を用いた結果、多くの災難を人々は受けてきました。知識がなくとも人は幸せになれますが、良心がなければ人は幸せになれません。リベラルアーツの中で最も大切な科目は、良識、道徳、宗教を学ぶことです。

とはいえ、良識、道徳、宗教は本から学ぶ以上に人それぞれの体験や環境によって育まれるところの大きなものだと思います。正しく生きて行こうとすれば、それなりの良心が育っていくことでしょう。ただ何かに迷ったとき、見聞を広げるために、より高い志を求めたくなったときに以下のような本を手に取ると良いと思います。推薦書に哲学書がないと思われる方がいるかもしれませんが、残念ながら私個人としてはそれほど哲学者が語る道徳に感化されるところが少なかったためです。

キリスト教: 救世主イエスが説いた神の教え。「新約聖書」
仏教: 仏となった釈迦が説いた悟りの教え。経典は宗派で多岐に渡る。中村元先生の翻訳本がお勧め。
イスラム教: 最後の預言者ムハンマドが説いた神の教え。「コーラン」
ユダヤ教、儒教、神道など。

論理について

学問において真理を探究し、新たな知識を発見し、それを正確に用いるためにはどうすれば良いでしょうか。そのための法則や作法を学問として人は探究し続けてきました。突き詰めればすべての学問が常に未完であるのと同様に論理の枠組みも常に未完であり、様々な研究がなされています。

ただ、真理の探究方法を主眼に置いて合理性や論理性を重んじることで学問や文明に大きな影響を与えた哲学者となると、それほど多くはなくソクラテスとデカルトに比類する者もいないでしょう。この点についての定評に異論を唱える学者は極めて少ないと思います。そして、ソクラテスとデカルトの両者の提唱に共通していることはその手法が単純なことです。単純だからこそ強力な手法であることです。

ソクラテスの手法は問答法と言います。対話形式で回答者の主張の根拠や前提を質問し、明らかとなった根拠や前提から推論を行って矛盾を探し出します。矛盾を示された回答者はその主張の根拠や前提を発展的に改善する必要に迫られ、新しいアイデアに気付かされたり、より良い理論の構築を促されます。これを自問自答で行っても良いのです。

デカルトの真理探究法は彼の著作「方法序説」に書かれています。ソクラテス以来、発展を続けた論理学にデカルトは不満を覚えます。アリストテレスの三段論法でさえ真理探究の方法ではなく、表現整理の煩雑な手法とみなします。そこで彼はユークリッドの「原論」以来の幾何学の理論構成を参考に、煩雑な論理学の法則を取捨選択して推論(演繹)を中心とした単純な真理探究法を再構成しました。

実際の真理探究法は「方法序説」をきちんと読んで頂きたいのですが、一応、簡単に説明するとそれは次の四法則から構成されています。第一は吟味を尽くして自分が正しいと疑問の余地のないほど確信した事柄だけを受け入れること、第二はより良く考えるためにできるだけ多くかつ必要なだけの小部分に物事を分割すること、第三は単純で認識しやすいものから複雑な認識のものまで順序があることを想定しながら物事の考えを進めていくこと、第四は完全な枚挙と全体にわたる見直しをして何も見落としがなかったと確信することと言います。(参考:谷川多佳子訳、岩波文庫)

デカルトはこの真理探究法を徹底することにより、ギリシャ由来の幾何学とアラブ由来の代数学を結び付けることに成功し、科学の基礎となる座標(グラフ)を考案します。座標によってニュートンが彼の物理学や微分積分学を発展させて近代科学の黎明期を迎えます。ちなみに、ニュートンやアインシュタインやヒルベルトもユークリッドの「原論」を研究の土台としています。私の見るところガロアはその科学理論の枠組みを超克しようと試みていたのではないかと思います。

以下の良書で論理を学び身に付ければ、学問において真理を探究し、新たな知識を発見し、それを正確に用いる能力が確実に向上します。

ソクラテス: 無知の知や問答法を提唱し、学問や論理の基礎を築きました。「ソクラテスの弁明」
ユークリッド: ギリシャにおける論理と数学を科学理論の雛形として大成させました。「ユークリッドの原論」
デカルト: ユークリッドの原論を研究し、近現代の合理主義、科学の基礎を築きました。「方法序説」
ヒルベルト: ユークリッドの原論を研究し、現代の公理主義、数学の基礎を築きました。「幾何学基礎論」

以下3点、よろしければご参照ください。
・ユークリッドについては、高校数学マスターという高校数学を通して論理を身に付けられるサイトを運営しています。
・デカルトについては、論理について~デカルトに基礎を置いて~という未完の連載で論理と方法序説を解説しています。
・論理、ソクラテス、デカルトについては、論考「真理探求法について」にて未修の方でも一歩一歩理解を深め、そして深い理解へと進められるようにできるだけ簡潔な解説を試みました。ただし、この論考は著者の真理探求法を解説するために書かれています。

著者の運営するL&M個別オンライン教室では、上記の「ソクラテスの弁明」「ユークリッドの原論」「方法序説」を私との対話形式のオンライン授業で学ぶことができます。質問だけでもお気軽に授業をお申し込みください。

数学と科学について

前述のユークリッド、デカルト、ヒルベルトの著作の中に、数学・科学とは何かという答えが詰まっています。理解の難しい箇所も多くあると思いますが、まずは目を通してみることが大切です。数学であればデカルトの「幾何学」もお勧めです。「幾何学」は「方法序説」を導入として本論的な位置付けにある著作です。古典の原著者の著作を読むと、後世に整理された教科書からは省かれた著者の独自性に溢れた様々な思想を味わうことができます。学校の教科書で学んだ数学とは別物のように感じる方もいるかもしれません。

他に数学で原著に触れる価値がありそうなのは、ガウスの「ガウス整数論(算術研究、Disquisitiones Arithmeticae)」や、ガロアやラマヌジャン、リーマンなどの著作には原著論文やノートなどを訳出して解説している本が多く出版されています。物理学であればニュートン「自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)」、アインシュタイン「わが相対性理論」を読んでみると面白いと思います。自然科学の別角度での革新としてはダーウィン「種の起源」も目を通してみると良いと思います。

全体像を知るためには数学史、数学基礎論、科学史、科学哲学に関わる著作を読むこともお勧めします。数学史では高木貞治「近世数学史談」は有名で、科学史では村上陽一郎先生などが有名です。

法律について

正義のない法律は暴力ですから、道徳の基礎を学ぶことが法律の理解を促していきます。とりわけ民主主義国家においては、自分や他者の尊厳つまりは基本的人権を守るため、主権者として健全な民主政を維持するため、主体的かつ組織的な経済活動を行うためにも、法律を理解していることが必要です。

何かの問題に巻き込まれたとき、法治国家において正当防衛以外は自分を守る手段は暴力ではなく法律です。そして、より多くの主権者の正しい政治判断と政治参加がなければ民主政もそれを支える法律も砂上の楼閣となります。国民の一人ひとりが「自由、平等、博愛」を旨に法律を学び、良識ある政治家を選ぶことが民主主義の根幹となります。

モンテスキュー「法の精神」、ベッカリーア「犯罪と刑罰」、ロックの経験主義と社会契約説、ホッブズ、ルソー、「日本国憲法」などに目を通してみると良いと思います。ここまでの数学と法律を一通り見渡した後に、経済について学ぶと理解が深まると思います。経済には様々な側面がありますが、数学と法律なしに経済は成立しないからです。アダム・スミス「国富論」、マルクス「資本論」、ケインズ

語学と文章と議論について

文章と議論の力は、これらの知識を上から優先度を付けて学ぶことで自然と身に付いて行きます。くわえて弁論術やプレゼンテーションスキルを学んでも良いでしょう。

語学は、最も重要となる本当に深い思考力を伸ばすためには母語つまり国語を磨くしかないと私は思います。一方で、ここまでどの学問を見渡しても残念ながら日本語はマイナー言語です。外国語としては、まず英語を学び、それからフランス語やドイツ語などの自分の学問に必要となる言語に足を伸ばすと良いでしょう。学問一般において重要となる古典言語のラテン語やギリシャ語などに興味を向けるのも良いと思います。

日本の場合は古文や漢文を古典言語として学ぶことが多いですが、欧米の場合にはラテン語やギリシャ語などを学びます。それが科学や哲学や宗教の古典に触れるための手段になるからです。英語が母語でフランス語やドイツ語などを第二外国語、古典言語としてラテン語やギリシャ語を学び、若い頃から古典から現代の論文にまで直接触れて育つ数学者や科学者、法学者やその他の学者が欧米にはたくさんいます。そのような文化的背景、教育によって結果としては雲泥の差が出てきます。そのようなハンディは意識しながら自分の目標に役立つ語学を学ぶと良いでしょう。

学問の基本は、疑問を持って分からないことを調べ、確認することにあります。つまり、辞書をきちんと引きましょう。その上で、基本から優先度を付けて学び、反復練習、経験を積み重ねることが語学習得のコツだと思います。

最後に

前節で欧米の教育に触れ日本よりも文献に触れやすい環境にあるという指摘はしましたが、近年では欧米でも評価のされやすい総合大学や工科大学が増え早くから専門に特化する傾向が高く、日本や欧米、学者か否かに関わらずリベラルアーツ教育を受ける人々は相対的に減っているのではないかと感じています。

それぞれの個性を生かした多様な教育こそが大切だと思いますが、専門以外の造詣の少ない専門家的な学者ばかりでも問題になります。それは学者だけではなく、経済人や政治家にも共通する問題と感じています。社会の共通基盤となるリベラルアーツの底が抜けつつありつまりはコモンセンスが崩れ、結果として近視眼的な政策や競争を行わざるを得ず、各分野間における意思疎通の不良にもつながっているのではないでしょうか。

このような傾向から抜け出すためには、きちんとしたあるべき社会像を描き、そのための理念を掲げて短期的な評価ではなく理念によって教育制度を整えていくことが必要だと思います。もちろんその結果を評価することは大切なことですが、評価も長期的な視点で広く深く多様な観点からするべきでしょう。

もし、高校生(中学生)の間にこのページで紹介した良書に触れる機会があれば、学力は自ずと伸び、視野も開け、進路選択にも役立ち、将来の生活の基盤となる学びになります。難しくても諦めずに、理解しようと取り組むことが大切だと思います。挑戦してみてください。

どのような考え方にもとづいてこれらの知識が選ばれているのか、より詳しくはなぜ学び、何を学び、どう学ぶのかをお読みください。国語と数学の勉強の仕方をより詳しく学びたい方はこちら国語と数学を学ぶ必要性と勉強方法をご参考ください。

参考例題

例えば、以下のような質問に自分なりの解答ができることを目標にしてみてください。

・民主主義の有名な標語の一つである「自由、平等、博愛」、旧約聖書にある「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」、モンテスキューの「法の精神」で説かれる「民主政体における愛国心」、ソクラテスの言う「知への愛」、恋愛や夫婦愛など、愛にも様々な愛があります。これらの異同を論じてください。

・デカルトの「神の証明」を指してパスカルは「デカルトの神はキリストの神にあらず」と批評したという逸話があります。これはどのような意図でしょうか?デカルトとパスカル、双方の立場で論じてください。

・愛なき正義、暴力を伴う正義はありえるでしょうか?愛と正義との関係を論じてください。

・イスラム過激主義が問題となってきました。なぜイスラム過激主義者は欧米やキリスト教社会を敵視するのでしょうか?イスラム教とキリスト教の歴史的な経緯を踏まえた上で論じてください。

・どの国にも過激な思想、宗教の問題の歴史があります。最も大切なことは自国の問題を知ることでしょう。明治期からの日本国の過激な思想、宗教の問題の概略を論じてください。

・道徳と宗教の違いは何でしょうか?くわえてキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、神道、儒教の異同を論じてください。

・国語の先生が小論文で解説する論理と数学の先生が解説する論理は異なるのでしょうか?科学や法律でも論理が大切と言われます。国語、数学、科学、法律で問われる論理の異同を論じてください。

・ある人の主張が、あるときは合理的じゃないと批判され、あるときは論理的じゃないと批判され、あるときは科学的じゃないと批判されていました。三つの言葉の異同を論じてください。

・なぜ勉強をするのか分からないと言う人がいたとします。国語、英語、数学、科学、法律、経済、その他の各学科が具体的にどのような場面で活用されているかを説明してください。くわえてそれらがどのように関係して社会が成立しているかを論じてください。

・民主主義の意義を踏まえて、日本の民主主義のあり方を各政党の主張を比較して論じてください。

・日本経済は1990年代~2020年代まで停滞しているとされます。その原因を政治、教育、経済、国際関係、環境問題から論じ、どのような国を目指すべきかを含めて解決策を提示してください。

・特に上記期間において日本経済では米国と比較してイノベーションが生じなかったという共通認識があります。イノベーションが生じなかった原因を論じ解決策を提示してください。


修正日時:2023年8月02日 「学ぶべき知識について」を「学ぶと良い知識について」に修正。
「学ぶと良い知識について」の第五段落「重要かつ必須の学科」を「重要かつ必要な学科」に修正。第六段落以降「例えば、私の出身校である~」「ICUでは、対話形式の少人数授業~」「優れた点としては英語と文章と議論~」の3段落を追加。
「道徳と宗教について」の第二段落を追加。
修正日時:2023年8月03日 「論理について」の「学問において真理を探究し、知識を発見し、それを正確に用いるためにはどうすれば良いでしょうか。そのための法則や作法も学問として人は探究し続けてきました。突き詰めればすべての学問が常に未完であるのと同様に、論理の枠組みも様々な提唱がなされていますが常に未完であると言えます。ただ、様々に有用な学問があるのと同様に、学問を行うにあたりとても有用な知識が論理的な枠組みとして提示されています。以下の論理を学び身に付ければ、学問において真理を探究し、知識を発見し、それを正確に用いる能力が確実に向上すると思います。」を七段落に加筆修正しました。本の紹介を微修正しました。
「参考例題」を加筆修正しました。過去:「例えば、こんな質問に答えられることを目標としてみてください。・世界でイスラム過激主義が問題となっています。では、なぜイスラム過激主義者は欧米やキリスト教社会を敵視するのでしょうか。そもそも、キリスト教とイスラム教の異なるところ、同じところ、その関係性はどうなっているのでしょうか。略解: ユダヤ教⇒キリスト教⇒イスラム教と派生しています。同じ神様を信仰していますが、異なる指導者、教義を持っているために歴史的に不幸にも、様々な勢力争いを行う人たちの間に反目が生じました。・道徳と宗教の違いは何でしょうか、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、儒教の異なるところ、同じところはどこでしょうか。略解: 一つには信仰があるかないかでしょうか。道徳のない宗教はないと思いますが、信仰のない道徳はあるようです。6つの宗教について、異なるところは信仰対象と教義でしょうか。かといって、それぞれ繋がりがないわけではありません。歴史的に深く繋がっているものもあれば、若干の繋がりが予想されるものもあり、教義においてもまったく違う部分もあれば、ある視点でみると似通った部分もあります。ただ、根本的には中身が異なるからこそ、異なる宗教として存在しています。・君の発言は論理性に欠けると言われました。では、論理とは何なのでしょうか。国語の先生が小論文で解説する論理と数学の先生が解説する論理は違う気がしますが、なぜですか。法律や科学も論理が大切と言われますが、すべて同じことを言っているのでしょうか。略解: 論理とは、大きくは、考える対象と対象の関係性を明確にすることと言えると思います。国語の先生は、考える単位である命題をそこまで明確にしない、また推論以外の関係性も豊富に含む論理を問題としていると思いますが、数学は命題を明確にし、主に命題間の推論(演繹)関係を問題にしています。大きくは、どの学問も論理を基礎に成立していると思います。ただ、その論理の扱う対象が異なるので、表現方法や枠組み、精密化の手法や程度は異なると言えると思います。・自分の考え方は、あるときは論理的じゃないと批判され、あるときは科学的じゃないと批判されます。二つの言葉に違いはあるのでしょうか。略解: 論理的じゃないとは、主張に根拠がない、理由が主張の根拠になっていない、推論すると矛盾が生じる主張をしたときなどに掛けられるのではないかと思います。科学的じゃないとは、その根拠が経験的な事実やデータに基づいていないときなどに掛けられるのではないでしょうか。・自分は文系なので、数学がどう社会の役に立っているか分かりません。とくに大学で習うような抽象的な数学は、どのような場面で用いられているのでしょうか。略解: まず、計算が早ければ商売には大きな強みになります。岩崎弥太郎、田中角栄しかり、計算は現代でも商売における大きな強みです。大学で習うような抽象的な数学は、コンピューターからAI、すべての電化製品、経済学から人類学まであらゆる場面で用いられています。中途半端ではなく、きちんと身に着ければどんな分野でも生かされるという感覚があります。・自分は理系ですが、法律がどのような場面で必要になるのか、今いち分かりません。とくに最近の憲法、安保法制、特定秘密法、共謀罪などの議論で、なぜ論争が起こるのでしょうか。略解: 民主主義国家の場合、法律は国民が合意した約束という位置づけにあり、すべての国家運営は定められた約束事に基づいて、その範囲内で行うという前提があります。最近の論争の大本には、国の成り立ち、人の権利に対するあり方についての相違が横たわっています。・私は会社員ですが、友人が脱サラしました。事業運営には、会計と法律の知識が必須だと言っていましたが、会計が必要なのは分かりますが、法律知識もそれほど必要なのでしょうか。略解: 社会活動、経済活動はルール、つまり法律に基づいて行われるので、事業が大きくなればなるほどあらゆる活動に対して法的な知識、さらには倫理的に正当な判断が社会から求められます。・文系、理系と分かれてしまう日本社会はイノベーションを起こしにくいと聞きました。そもそも、幅広い知見や多様性がどうしてイノベーションに必要なのでしょうか。略解: イノーベーションは、社会のニーズを新技術を核とするサービスが充足したときに起こると言えます。ニーズを知り、充足するサービスを作らなければイノベーションは起こりません。社会的なイノーベーションにおいては、新技術はあくまで道具と言えます。一方、新技術は、社会のニーズとは無関係に、主に人の科学的な興味によって生まれてきます。社会的なイノーベーションに必要なものは、豊富な学問的、科学的土壌、つまり学者たちと、社会のニーズを捉え、それを的確に充足するサービスを構築する挑戦心ある事業家たちだと思います。つまり、文系、理系の両者を理解する人材が必要となります。例えば、Apple社のジョブズもリベラルアーツがイノーベーションには必要だという旨の意見を述べていたと思います。Apple社の商売のやり方を見ていても頷ける意見です。」
修正日時:2023年8月04日
「数学と科学について」の段落「前述のユークリッド、デカルト、ヒルベルトの著作の中に、数学・科学とは何かという答えが詰まっています。その上で、より視野を広げるのであれば、ガウス、ニュートン「プリンキピア」、ダーウィン「種の起源」、アインシュタイン「わが相対性理論」などに知見を広げると面白いと思います。さらに興味があれば数学史、数学基礎論、科学哲学、科学史に関わる著作を探すと良いと思います。」を加筆修正しました。
「法律について」の段落「正義のない法律は暴力ですから、道徳の基礎を学ぶことが法律の理解を促していきます。とりわけ、民主主義国家においては、自分や他者の権利を守るため、主体的な経済活動を行うため、健全な民主制を維持する一助となるためにも、法律を理解していることが必要です。何かの問題に巻き込まれたとき、法治国家において正当防衛以外は、自分を守る要は暴力ではなく法律です。そして、より多くの正しい判断がなければ、民主主義は砂上の楼閣となります。国民の一人ひとりが自由と法律を学び、良識ある政治家を選ぶことが民主制の根幹となります。
モンテスキュー「法の精神」、ベッカリーア「犯罪と刑罰」、ロックの経験主義と社会契約説(ホッブズ、ルソー)、「日本国憲法」。ちなみに、ここまで数学と法律を一通り見渡した後に、経済について学ぶと理解が深まります。アダム・スミス「国富論」、マルクス「資本論」、ケインズ」を加筆修正しました。
「語学と文章と議論について」の段落「文章と議論の力は、これらの知識を上から優先度を付けて学ぶことで自然と身に付いて行きます。語学は、ここまでどの学問を見渡しても残念ながら日本語はマイナー言語です。まずは英語を学び、それからフランス語やドイツ語などに足を伸ばし、自分の学問に必要となる言語や、学問一般において重要となる古典言語のラテン語やギリシャ語などに興味を向けると良いと思います。学問の基本は、疑問を持って分からないことを調べ、確認することにあります。つまり、辞書をきちんと引きましょう。その上で、基本から優先度を付けて学び、反復練習、経験を積み重ねることが語学習得のコツだと思います。」を加筆修正しました。
節「最後に」を設けました。
最終修正日:2023年8月04日