学問と論理、とくに科学と法律 -なぜ・なにを・どう学ぶのか-
現代社会は、あらゆる側面で様々な学問に支えられている。そこで生活するには、多少なりともそれぞれの学問を知る必要がある。とくに科学と法律は、現代社会の土台である。それを基礎付けている論理について、そしてさらに科学と法律とは何かを説明する。
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現代社会は、あらゆる側面で様々な学問に支えられている。そこで生活するには、多少なりともそれぞれの学問を知る必要がある。とくに科学と法律は、現代社会の土台である。それを基礎付けている論理について、そしてさらに科学と法律とは何かを説明する。
公理主義的な考えを進めると、公理の真偽に関係なく公理を仮定として理論を構成することができます。さらに、公理の形式化を進めることで、公理や命題の意味を解釈することなく、論証をデータ操作で可能な段階に至ります。このような形式化は、正確に対象を認識したり、多様な理論を統一したり、理論を互いに相対的に接続したり、などするためには、とても強力な手段となります。ソクラテスから始まり、ユークリッドの原論、時代を超えてデカルトの方法序説、ヒルベルトの公理主義を紹介してきました。これらのことを知って意識しながら数学を学べば、合理的、論理的な思考力を鍛える上で、数学以上の題材はないのだろうと思いますし、意識的に学ぶことによってこそ、その他の学問や仕事への応用もできるようになります。
ユークリッドの原論が合理主義、論理の精密さを高め、その模範とされたように、現代数学がやはり、合理主義、論理の精密さを高める舞台として、重要な役割を果たしてきました。関連する重要な成果を列挙すると、集合論、ブール代数、公理主義、記号論理学などです。現代における合理主義、論理において重要な価値がある公理主義は、20世紀の最も優れた数学者であるヒルベルトの「幾何学の基礎」によって提唱されました。公理では、従来の定義のように自然言語によって直に意味付けされる方法は避けられ、規定対象は自然言語とは切り離され、他の規定対象やその関係を記述する言葉とのみ繋がり、その規定対象間の関係のみが論証の根拠として利用されます。
デカルトは、自然科学における知識を実験で検証することの重要性を強調しました。実証主義に繋がっていくこの検証可能性を重視する姿勢は、科学以外の分野へも確実に広がっていきました。現代においては、合理主義という言葉の中に仮説の検証可能性と実際の検証を重視することが含まれているのだと思います。つまり、デカルトの合理主義は、科学、医学、法律、政治、ジャーナリズム、経営など、あらゆる社会活動の基盤になっているとも言えます。そうであれば学習においても、議論によってより正しい解答を探究しょうとする姿勢を身に付けたり、疑問を持って調査などをして納得してから受け入れるという姿勢を身に付たりすることが重要となっています。
ユークリッドの原論の功績は、枚挙に暇がないと言えるほど、後世の学問の礎になりました。数学で言えば、公理主義が一般的な数学の理論形式となり、科学で言えば、ニュートンやアインシュタインの物理学の土台となり、数学とは異なる分野と思われる法律であっても、同じ論理的な方法論が取られました。それ以外においても、ユークリッドの原論は、デカルトの合理主義によって、現代のすべての学問の基礎へと繋がって行きました。デカルトは、論理学と幾何学と代数学の長所と短所を考慮して主に四つの規則からなる思考方法を、諸々の学問に適用できるものと期待する、として提示しました。とくに、注意深く知識の真偽を検討して真理を探究する、という方法自体は、合理主義の再興、西洋近代の学問の一つの再出発点となりました。
ソクラテスの見い出したこの、無知の知という考え方と、とくにそれを確かめるために用いた問答法という物事の理解を深めていく議論の仕方、あるいはその思考方法は、弟子たちの教育に生かされ、その能力を大幅に高めていくことに繋がりました。ソクラテスの弟子にはプラトン、さらに孫弟子のアリストテレスという大学者が生まれました。とくに論理学においては、アリストテレスが、論理的な推論、演繹規則を初めて定型化するという大成果を生み出しています。そして、この論理体系の洗練は、あっという間に一つの頂き、数学の名著であるユークリッドの原論を生み出すことに繋がっていきました。ユークリッドもソクラテスの無知の知を土台にして原論を著述しただろうことが、その内容から推測されます。つまり、常に問うというソクラテスの姿勢が現代の学問、合理主義の土台になっていると感じられます。
古代ギリシャにおける学問の発展の秘訣は、言論の自由にありました。つまり、自由な議論が、物事の本質的な要素や構造、全体像を明らかにして行くことに繋がっていきました。そして、古代ギリシャの人、ソクラテスはこのような自由市民同士による議論を通して、人の知恵の限界、学問における人の限界があること、さらに、問うという行為でその知識の不完全な点を明らかにし、知識をより洗練させていくことができることに気付きました。そして、自分が無知であることを知っている点においては、それを知らない者よりも優れているとの言明を残しました。
正しいことに対してまで疑いをかける姿勢を懐疑主義といいます。合理主義にとっては、正しいことを知ることが目的であり、疑問を持つことはあくまでも手段となります。一方で、懐疑主義は、字面からも分かるように、疑問を持つという手段に重きが置かれます。そこで、正しいことを知るためという目的を見失う恐れが生じます。極端な懐疑主義の間違いに陥らないようにするには、疑うことではなく、物事を問うという行為、それも謙虚に問うということが大切なのだと気付くことだと思います。その根底には、真理を探求しょうとする姿勢があり、そこに合理主義の本質があるのだと思います。改めて合理主義の定義をまとめると、合理主義とは、真実又は真理を求め、謙虚に問い誠実に確認をしながら考えること、と言えるかと思います。
学問、とくに科学や法律は現代社会を支える土台であり、その知識の正しさはこの高度で複雑な社会を支える基礎となっています。逆に言えば、その知識の正確さゆえに、高度で複雑な現代文明を人々は築くことができました。そのため、学問を学ぶ前に、あるいは学ぶ中で、現代における学問が必要とする物事を正確に考える力を身に付ける必要があります。物事を正確に考える力、あるいはその方法論は、歴史的にそのような考え方、方法論が具体的に提唱されてきました。その方法というのは、一言で言えば合理主義と呼ばれる言葉で表されます。これから私なりの説明をした上で、さらにその歴史を紐解いていきたいと思います。合理主義の最も簡単な定義は、疑問を持って確認しながら考えること、と言えるのではないかと思います。
その他に一つ重要な学問として学んでおくと良いと私が思う学問は経済学です。経済学を学ぶには、人や物についてのより深い洞察を得るために、現代社会の人と物の動きに影響を及ぼす道徳や宗教を含めた様々な学問を学ぶ必要があり、つまり、現代社会における深い教養が必要であろうと思います。その他の学問も現代社会を支える点においては、その必要性を疑う余地はありませんが、法律と科学については、とりわけ現代社会において重要な枠割を果たしている学問なので、一般市民の誰もがそれを学ぶ必要性があるものと感じています。ただ、たんに法律や科学の知識を学ぶことだけが重要なのではなく、それを下支えする合理主義、一歩進んで論理という概念を学び、身に付けることが最も重要なのだと思います。