学問と論理1(法律の必要性1) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-
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3-1.学問
3-1-1.学問の必要性
人から高度に考えることを取り去ってしまえば、人はその他の動物と同じようになってしまいます。多くの人は、生きて幸福を得るために正しいことを知ろうとし、正しいことを行おうと努めてきました。これが道徳や宗教であると思います。その他の学問も同様に、人がより良く生きるために高度に考えること、それが学問の本質であり、すべてであると思います。したがって、道徳や宗教を含めた広い意味での学問は、人を人足らせる、社会を社会足らせるために必要不可欠な知識であると同時に、それ自体が人を人として、社会を社会として形作らせていると言っても過言でないと思います。
人がよりよく生きるために築いてきた文明、現代社会は、あらゆる側面で様々な学問に支えられています。そこで生活するには、多少なりともそれぞれの学問を知る必要がありますし、人のために働く、つまり仕事をするには、その仕事に係る学問をしっかりと学ぶ必要があります。そうしなければ、なかなか満足のいく仕事はできないことが多いかと思います。その中でも、法律と科学が現代社会を支える重要な学問であること、この二つを学ぶ必要性がなぜあるのかを、まず、以下で説明したいと思います。以下の文章を読めば、法律と科学の知識がこの社会の中でのあなたの自由を制限もし、逆に広げたりもすることを納得できるのではないかと思います。
3-1-1-1.法律の必要性
道徳や宗教は、人にとって必須の広い意味での学問と言えるかと思いますが、道徳や宗教は、原則的に各個人の内心において修養されるものであって、他者と学び合うことはあっても他者に守らせるものでは決してありません。しかし、人は点でばらばらに生きているのではなく、人々が集り、社会を形作って生きています。人が二人集まれば、共同で物事を実行するため、互いの利益や不利益を解決するため、約束や規則を決めてそれを守る必要が生じます。そこで法律が必要になるのだと思います。
たしかに、少人数で気心の知れた仲間で集合しているときには、その信頼関係によって明確な約束や規則を定める必要はあまり生じないかもしれませんが、集団が大きくなり、多様な人々が多様な目的を持って暮らすようになれば、異なる価値観に対して一つの裁定を下すために、約束や規則を明確に定める必要が生じます。同様に、共同で実行する物事が大きくなればなるほど、逆に、大きな物事を共同で実行したいと思えば思うほど、原理原則に基づく細分化された精緻な法律や契約が必要になり、実行する人々にもその理解が必要になってきます。
それは、数学で定義を明確にして段階を追って大定理を証明すること、プログラミングで各個別の機能を精緻に作り上げてその組み合わせによって大きなプロジェクトを運用すること、物づくりで各部品を精緻に作り上げてその組み合わせで大きな製品を制作すること、などと同じだと思います。つまり、法律で言えば、憲法で基本原理を明確にして、基本法、法律、命令などと段階的に法制度が構築されています。大きな組織をきちんと運用していくためには、各個人が従うべきルールについて、できる限りの状況を想定して細分化し、それを精密に分析して共通の原則を括り出しながら、表裏や内外の不一致がないように心がけ、工業製品の設計図のように、組織の法律、契約、規則を作り上げて行かなければいけません。
その過程では、各部分を精密に分析すればするほど、数学で言うところの公理、プログラミングで言うところの汎用オブジェクト、物づくりで言うところのネジなどの基本部品のように、全体で何度も利用される普遍的で重要な部分、つまり、法律で言うところの法原理を見い出すことができ、逆に、物事を単純に考えることができるようになります。そうして、そのような各部分の精密さが磨かれていなければ、高層ビルの1cmの土台の誤差が頂上階では数メートルの誤差になってしまうのと同じで、憲法はもちろんのこと、法律や契約の曖昧な定義が後々、集団や組織を揺るがす大問題に発展していくことになります。
このように書くと、工業製品の部品のように、法律で人を物のように扱うようで、日本的に言えば義理と人情に欠け、あるいは、人のために法律があり、法律のために人があるのではない、などといった文句も言いたくなるのかもしれません。さらに極端に捉えれば、法律には人を軽んじる不道徳な価値観が内在しているかのようにも見えます。しかし、集団として何事かを実行するということは、精緻な法律の有無に関わらず、その中の個人にとっては必然的に大きな不自由や負担が生じるものであり、時に集団の利益のために個人の利益、健康、命が危機にさらされることが、簡単に起こりえます。そこで法律によって、その個人の利益を守るべく規定し、その法律を各個人、とくに集団のリーダーが理解して従えば、法律がない場合よりもあった場合の方が、恣意的な組織の運用を防ぐことができ、個人の利益を守ることができるのだと思います。つまり、法律や契約は、内容次第、運用する人次第で、良くも悪くも利用され得るのだと思います。さらに、法律は最低限の規範であり、法律で定められた以上の道徳、義理と人情、愛や正義が集団や組織の中で実践されるべきであり、そうでなければ、集団や組織はそう長くない間に解体の危機にさらされるのだろうとも思います。
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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年2月15日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年2月15日