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学問と論理7(合理主義の定義2) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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さらに少し踏み込むと、合理主義において大事なことは、単に一つの判断の成否云々に留まらず、良いものについては興味を失わないようにしながら、悪いものについては興味を失っていくこと、良いか悪いかは分からないながらも、その分別の努力を続けていくことだと言えます。さらに言い換えると、正しいことと悪いこと、あるいは自分にとって必要なことと必要でないことの分別を、その都度、誠実に繰り返していくことと言えます。何事も繰り返さずには習得することができないのが人の性質でもあり、その繰り返しの中に、その分別があるかないかで、つまり、より良いものを求めていこうとする姿勢があるかないかで、間違いや偏見だらけの考え方になるか、良いものをさらに積み増しながら、ますます正しく思慮深い考え方になっていくのか、が決まってくるのだと思います。

ここで少し話は変わりますが、なぜ、初めに合理主義の定義を、疑問を持って確認しながら考えること、から、謙虚に問い誠実に確認しながら考えること、という文言に言い換えたかを説明したいと思います。私としては、疑問という言葉、とくに疑いという言葉のニュアンスが持つ、間違いを前提にするかのようなマイナスの側面が、必ずしも合理主義において重要な要素ではない、さらには合理主義に対する誤解を生みやすい、弊害さえ抱えていると考えているからです。つまり、疑問、とくに疑いを向けるという行為を少し考えてみると、その対象が、自分、他者、物、何であれ、その対象が間違っていれば、疑問を向けることはその誤りを正す、正しい行為になりますが、反対に、その対象が正しければ、今度は疑問を向けるという行為そのものが、不用な、間違った行為とされかねません。

正しいことに対してまで疑いをかける後者のような姿勢を懐疑主義といいます。では、合理主義は懐疑主義とほとんど同じ意味で、そこに違いはないのでしょうか。たしかに、正しいか、正しくないか分からないからこそ、何事でも疑問を持って考えることが出発点であると説き、疑問を持たなければ、正しいことも正しくないことも鵜呑みにしてしまう弊害があると指摘するのが、合理主義の一側面です。しかし、一方で、それがどの程度かは別にして、正しいことは正しいこととして受け入れるという率直で肯定的な前提が何事においても不可欠と言えます。つまり、正しいことを知ろうとする、知りたい、そのために疑問を持つわけですから、正しいことであっても決して受け入れないのであれば、そもそも考える必要もなく、ただすべてを拒絶していれば良いことになってしまいます。それは、探し物をしていたのに、見つからないので、そもそもなかったことにしてしまう態度に似ています。疑問という言葉を徹底すると、そのような偏屈に陥る可能性があり、それでは元も子もなくなってしまうわけです。この例えは、懐疑主義においての極論ではありますが、その一側面とも言えます。

まとめると、合理主義にとっては、正しいことを知ることが目的であり、疑問を持つことはあくまでも手段となります。一方で、懐疑主義は、字面からも分かるように、疑問を持つという手段に重きが置かれます。そこで、正しいことを知るためという目的を見失う恐れが生じます。この点が、合理主義と懐疑主義の似ているけれども異なる、大きな違いと言えるかと思います。このように、極端な懐疑主義の間違いに陥らないようにするには、本当に必要な要素を疑問という行為の中から取り出す必要があるのだと思います。それは、疑うことではなく、物事を問うという行為、それも謙虚に問うということが大切なのだと気付くことだと思います。その根底には、子供が自然と持っている謙虚さに似た、人の限界、人の能力の小ささに対する自覚が見出されると思いますが、何事についても謙虚に問い、正しいことを見つけ出そうとすること、つまり、真理を探求しょうとするその姿勢にこそ、合理主義の本質があるのだと思います。このような理由から、誤解の生じないように合理主義の定義の若干の修正を初めに行ったわけです。

ここで、改めて合理主義の定義にその本質を付け加えて、まとめておきたいと思います。つまり、合理主義とは、真実又は真理を求め、謙虚に問い誠実に確認をしながら考えること、と言えるかと思います。このような定義であれば、たとえ真実又は真理を知ることができなくとも、それに近づいていく試みとしての問いは肯定され、その目的や動機を見失うこともないのではないかと思います。そして、このようなことを考え、おそらく初めて明らかな答えを出したのが、古代ギリシャのソクラテスという人でした。

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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年3月02日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年3月02日