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学問と論理4(科学の必要性2) -なぜ・なにを・どう学ぶのか-

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例えば、科学技術者は、科学を応用して物作りをします。その現場では、科学によって未だ解明されていない有象無象の現象に、右往左往させられながら開発が行われます。そこでは、技術者としての経験や勘が、様々に現れる問題を解決していく重要な能力になります。しかし、だからといってその経験や勘を科学的に、合理的に検証しょうとする態度を失ったり、経験や勘を頼りに技術開発を行うと、開発が進めば進むほど、未解明の問題点が起こす影響が大きくなり、収拾が付かない状態で開発が止まったり、人員交代によって、すべての開発をやり直さなければならないといった事態に陥りかねません。このような問題は、他国よりも日本の生産現場において大きなリスクとして生じているのではないかと思います。

もう一つ、医学を例にして考えると、医学とは科学的に人体の仕組みを探求し、その知識を応用して病を治すものであると考えられます。そこで、おそらく日本人医師には、経験豊富で他国よりも優秀な医師が沢山いると考えられますが、ともすれば経験を重視し、権威ある医師の意見を他国よりも尊重しがちな場面もあるのではないかと感じています。たしかに、医師として患者を救うために、医学を応用するための経験を積み重ねることは最も大切なことだと思いますが、あくまでも、科学的な研究が医学を進展させていることを忘れず、日頃の診療においてもその経験を論理的に体系付けたり、科学的に、合理的に検証しょうとする態度を失ってはならないのだろうと思います。そのような診療姿勢が誤診を減らし、医学研究へのフィードバックや新たな診療体系の構築などに貢献するものと思います。

そして、同様の合理的、科学的な姿勢が、大袈裟ですが日本の至る所で、これまでも取り上げてきた教育や司法、捜査機関、さらに政治、有権者による選択にまで必要であると思うのです。とくに、なぜ政治や有権者による選択にそのような姿勢が必要かと言えば、第一に、現代社会が科学的な知識や技術の上に成立しているからであり、その理解なくして、例えば原発や生殖医療の運用やその可否などの現代社会に突き付けられている政治課題を判断することはできないからです。第二に、合理的な判断を政治が行っているかを最終的に判定するのは、有権者だからです。その有権者である一般市民が、合理的な判断をする能力がなければ、政治においても合理性は失われていきます。簡単に言うと、政治的な選択において一般市民に必要とされているのは、後の章でより詳しく説明しますが、合理主義という言葉に象徴される、事実や知識を検証する姿勢、疑問を持ってより確実な根拠を求める姿勢なのだと思います。繰り返しになりますが、政治に限らず、より多くの人が合理的に物事を考えられる力を養うことができれば、合理主義の考え方や手法を理解して実践できれば、より良い社会の形成にほんの少しでも繋がるのではないかと思います。

最後に科学について話を戻しますと、皆が興味を示さないような、自らの利益にもならないような、他人からすればつまらないものであっても、自らが興味を持ったならば、権威ある人や伝統的に語られてきた説明に恐れを感じても疑問を捨てず、つまり、飽くなき真実や真理への探求心によって、徹底的な根拠の検証を怠らず、そうやって収集された小さく細かいけれども確実な知識の集積が、時に大きな発見を生み、現代に誇る大きな建造物や知識の体系、科学を形作ってきたのだと思います。現代社会は、科学の上に成立しています。ただ、科学の知識を学ぶだけではなく、科学を通して、物事の合理的な考え方を身に付けるためにも、科学は学ぶ必要性があると思います。

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公開日時:2016年8月27日
修正日時:2017年3月17日 章立てを追加。「民主主義とリベラル・アーツ」を修正。
修正日時:2018年3月02日 新しい内容を追加して、ページを分割。
最終修正日:2018年3月02日