序文2 -なぜ・なにを・どう学ぶのか-
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この文章には、以上のような目的とは別に、二つの目的があります。一つは、現代のリベラル・アーツを提示することであり、もう一つは論理について深めた考え、考え方を表すことです。最初のリベラル・アーツとは、西洋の文脈での一般市民が持つべき教養という意味の言葉で、成人した市民が自ら物事を決断するために必要と思われる知識や技能をまとめて、リベラル・アーツと呼びます。古代ローマでは、明確に必須科目が定められていましたが、現代では思考力、文章力を中心とはするものの、かなりぼんやりとした教養という概念になっています。日本の江戸時代で言えば、読み書きそろばんでしょうか。
当然、時代や場所によりその社会の要求に合わせて、リベラル・アーツ、教養の中身は変遷しますが、この文章で私が目的としているのは、そのぼんやりとしてしまっているリベラル・アーツを、現代社会が要求している知識や技能を取り上げて、現代のリベラル・アーツとして具体的に誰にでも分かりやすい形にして示すことです。
リベラル・アーツの自ら物事を決断するために必要と思われる知識や技能という側面は、現在の教育で必要とされている、自ら考えて判断する力を育てること、そのものと言えます。同様に、リベラル・アーツの一般市民が持つべき教養という意味からすれば、この文章の内容は、本当であれば義務教育から大学一二年生くらいで学ぶべき事柄になるはずですが、多くの内容は日本の義務教育では学ばれていません。必然的に公教育において学ぶことのできない内容もあれば、その重要性を理解されていない内容もあり、既存の考え方に縛られて同じものを学んでいても視点がずれてしまっている内容もあります。この文章を通して、現在の教育に足りない可能性のあるものをより多くの方に少しでも感じて頂ければと考えています。
この文章を書いたもう一つの目的は、自ら考えながら深めていった私自身の論理に対する理解と、その結果、形となった一つの考え方、対象と関係についての知識を説明することにあります。おそらく、この考え方を理解すると、何ら物事の根本的な解決にはなりそうもありませんが、学問や仕事を進める上での適当な補助になるのではないかと期待しています。
【謝辞】
この文章を書くには、多くの方々の協力を必要としました。2018年5月11日未明に104才で他界した私の祖母であり、孫を痛く可愛がってくれた元王子製紙社員の瀬端吉代さん、父であり元富士通社員の瀬端一朗さん、母であり薬剤師であり三味線奏者の瀬端淑子さん、兄であり朝日新聞社員の瀬端哲也さん、妹であり日立製作所社員の瀬端真理紗さん、愛犬であり人生と犬生を共にしているボーダーコリーのハラルドくん、瀬端家親戚の皆さん、根気強く議論の相手を努めてくれた友人で医師の岡田浩平さん、良い教育を施そうと努力してくれた母校ICUの関係者の皆様、私たち家族の良き友人であり米国留学中に早世した小林多朗さん、その他多くの縁者の方々の支えがなければ、稚拙で不具ではありますが、僅かながらの偏光もあるかと思われる、この文章は書けませんでした。ありがとうございます。
【要約】
第一章「道徳と宗教」では、学問だけではなく道徳や宗教を学ぶことの大切さや、それを学んだり教えたりすることの難しさを指摘します。
第二章「現代社会の文化と文明」では、社会がどのように形作られているのかを知ることの大切さや、それを学ぶための方法や方向性を示唆します。
第三章「学問と論理」では、社会が様々な学問とくに科学と法律に支えられていることを示し、その基礎として、物事を正確に考えるための方法、つまり合理主義や論理について説明します。さらに、科学の考え方を詳述した上で、法律の考え方を通してリベラル・アーツについて説明します。
第四章「国語と数学と英語」では、学問における国語と数学と英語の重要性を指摘し、その学習方法を詳しく説明します。
第五章「対象と関係、関係論理」では、最後に、物事を正確に考えるための方法として、知識を対象と関係に分けて考える手法を説明します。
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公開日時:2016年8月24日
最終修正日:2018年1月5日