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高校数学で論理を学びにくい理由

以前に書いた「論理と矛盾、対偶の証明」という記事と重なる内容ですが、
ある理由で高校数学を学び直していて、
すると、なぜ高校数学では論理が学びにくいのか、身に付きにくいのかが分かりました。
それをツイートしたのですが、まったくの無反応、、だったため、ここに以下に転載しておこうと思います。

くわえて、以下のツイートも参考にして、高校数学を通して論理を学べるサイト「高校数学マスター ~高校数学を独学するための勉強法~」を立ち上げました。また、論理の基本を解説する「真理探求法について」を公開し、連載記事「論理について~デカルトに基礎を置いて~」も執筆中です。よろしければご参照ください。

ツイート1:
数学の議論と他分野の議論の仕方は、学べば学ぶほど基本は同じ。そうでないと思うのは、どちらも理解できていないから。幾何を知らざる者、入るべからずとは、このためだと思うけど、高校数学の教科書では、この論理の習得は絶望的に不可能だろうと思う。書いてもいないし、要点もずれている。

ツイート1の補足:
高校数学Ⅰでは、きちんと「命題」や「証明」を解説しています。
「命題」や「証明」は、他分野の議論においても基本はほとんど同じです。
例えば、証明の基本は命題と命題の間の「推論(ならば)」関係ですが、命題は意見、主張などなどと置き換えられますし、推論はこうであればこうであろうという推測や推理などと置き換えられます。これらなしに、どんな分野でもそれが法律であろうと文学であろうと「考える」ことはできないと容易に察せられます。つまり、命題や推論は考えることの基本になります。
ここでの幾何は、ユークリッド幾何を指します。前提から結論へと流れる論理を、できる限り前提を明確にして議論しょうとする、その正確性、確実性への姿勢が、学問には必須ということです。逆に、和算などにおける幾何的知識のことを指していません。
絶望的に不可能なのは、集合を論理の基礎においているからです。単元名も「集合と命題」です。論理は集合の前にありますし、法律や文学などなど他分野では、集合を基礎とした論理を活用していませんし、しにくいのは明らかです。法律に公理主義を応用するぐらいの方がまだ現実的です。命題論理について、つまり、「命題」や「推論」についてより多くの解説を費やすべきだろうと思います。集合はもちろん解説すべきですが、他分野の応用を考えるなら、概念と集合の違いくらい解説すると良いと思います。しかし、そうすると、命題と概念の関係などなど、解説が膨らむのは避けがたいかもしれません。
ちなみに、文学、つまり、国語などで論理として活躍するのは、推論関係とともに、概念間のその他の様々な関係を考察することだと思います。例えば、対立関係、相違関係、比喩関係、などなど。その点、順序関係、包含関係などなどが主役となる数学とは、扱う関係の種類が異なりますが、どちらも推論関係なしには成立しないとは思います。

ツイート2:
命題、主張、定理とは何か?
前提、仮定、原理、公理とは何か?
概念、集合とは何か?
対象、関係、推論とは何か?
根拠、証拠、理由、事実とは何か?
真偽、正誤、矛盾とは何か?

ツイート3:
こういう基本的な事柄をきちんと理解していれば、勉強ははかどると思う。
こういう基本的な事柄を説明せずに、命題と集合の関係をベン図を用いて説明するのは無理があると思うなあ。

ツイート3の補足:
命題や論理は、やはり、ベン図よりもまずは、対象〇と関係⇒で整理していくと良いと思います。
対象〇に対して、ソクラテスのように「なぜ?なに?」と問いかければ、その他の対象との関係に気付けます。
さらに、デカルトのように分解(細かく分けて考える)、順序(価値や推論などの順番を考える)、列挙(漏れのないように一覧する)などを意識することは重要と思います。
数学の問題を解く際にはとても有効ですし、国語でさえ、そのような整理をしてから文章を書き始めると考える力の基本になります。

ツイート4:
ほぼすべての学生が分かった気になって前に進んでいるか、疑問だらけで前に進んでいるかだと思うし、センスのある子は後者で、嫌な気分になると思う。

ツイート4の補足:
日本が疑問を持つことを軽んじる文化圏にあることは、ほぼ間違いないでしょう。それを意識して、疑問を持って考える習慣をより意識する必要があると思います。ただ、もちろん、極端な疑問ばかりを持つ懐疑主義的な傾向に陥らないように、批判、疑問、吟味、考察などと必要に応じたバランスを取れるようにならないといけないと思います。

ツイート5:
多変数の場合はどうやってベン図に書くのですか?
命題と集合は切り離せないのですか?
では、数学の矛盾って集合の包含関係でしか表せないのですか?
集合を用いないといけないなら、数学の論理は普通の議論には使えないですよね?
などなどの疑問を持つのが正しい反応だと思う。

ツイート5の補足:
関係集合です。
切り離せます。
表せます。
そうです。しかし、集合は用いなくともできる議論があります。

ツイート6:
道具は作るのは大変だけど、作った後は、作ってない人とは比較できないほど役に立つ。学ぶということ、とくに考える力を育てるということは、それと似ていると思う。才能だけではない、才能だけでは届かないところに、先人の良い知恵を学ぶことで、到達できるのだと思う。

ツイート6の補足:
高校は学問を学ぶ場所、昨今は「考える力」を強調しているのに、どうしてソクラテスやデカルトを基本として十分に取り上げないのでしょう。不思議過ぎます。いったい誰が学習指導要領を作成しているのでしょうか。本当に自分で考える力のある人でしょうか、、

ツイート7:
高校数学は、まず矛盾を説明していない。
矛盾とは、例えば、道で「学校Aの正門は右にありますか?それとも左ですか?」と聞かれ、「右にも左にもあります。」と答えるようなもの。
様々な決定、決断において、矛盾があると、どちらでもよいことになり、決定や決断が付かなくなってしまうわけです。

ツイート8:
嘘が忌み嫌われるのも、事実と発言が異なる、つまり、矛盾があるから。どちらに基づいて判断すればよいか分からなくなるわけです。

ツイート8の補足:
論理的には、です。

ツイート9:
矛盾は、突き詰めれば一つの命題の真偽の両立に帰着します。簡単に言えば、「右にも左にもあります。」ならば「右にあります。右にありません。」ということで、命題「右にあります。」の真偽のどちらも肯定していることになるわけです。

ツイート10:
つまり、ある命題と命題が矛盾しているかを正確に判断するには、ある一つの命題の真偽の両方を肯定しているかどうか、という問題に帰着させればよいわけです。

ツイート11:
あと、矛盾の重要ポイントは、一つの命題が矛盾すると、その命題から推論された、または、その命題が推論された、すべての命題も矛盾するということです。対偶をとれば、分かります。

ツイート12:
例えば、「A⇒B」が成立しているときBが矛盾すると、「B」かつ「Bでない」が真であり、対偶を取り「Bでない⇒Aでない」が成立しているので、「Aでない」も真となり、命題Aも矛盾するというわけです。

ツイート13:
矛盾する命題から推論された命題は矛盾する、という方向に関しては、色々と示し方がありそうで、少し、技巧的になりますが、こんなやり方もあるかなとおもいます。
A⇒Bなので、A又はB⇒Bかつ(A又はAでない)
対偶を取って、Bでない、又は(AかつAでない)⇒Aでない且つBでない⇒Bでない

ツイート14:
つまり、Aが矛盾すると、AかつAでないは真なので、Bでないことも示されます。

ツイート15:
まとめると、理論全体、仮定にさかのぼって、そして、推論されるすべての命題が矛盾してしまうわけです。理論に一つでも矛盾が見いだされれば、理論全体が崩れるわけです。

ツイート15の補足:
科学理論、とくに数学理論は、いくつかの理由や根拠のない仮定を公理として、すべての命題をその公理から導き出すという論理構造が一般的です。

ツイート16:
理論の中の命題を仮定法で証明する、という方法は、理論が本当に成立するかは分からないけど、少なくとも矛盾があったら終わりという、このメカニズムを使っているわけです。

ツイート16の補足:
だから、少なくとも仮定した命題の否定命題を採用しておこう、というだけです。
例えば、仮定した命題が他の公理から証明できるのか、あるいは、証明できないなら矛盾はしないのか、などなどの突っ込みどころがあります。

ツイート17:
どこまで高校生の間に学習するべきかは難しい問題だけれども。最後の技巧的な証明はいらないかもしれないけれど。それまでは、難しい話ではないと思うし、集合による対偶の証明の方がややこしいくらいだと思うし、何より、費用対効果というか、学習によるメリットがかなり大きいと思う。

ツイート18:
数学で論理的な思考力を学ぶ、とするならば、この話は避けては通れない基本だとう思うし、逆に、こんな話もしないで、論理論理というから、論理って何?感が出てしまったり、数学の論理って集合を使うから特殊、的な誤解をほとんどの大人が持つのだと思う。

ツイート19:
逆に、現在の高校教科書でそのような誤解を持たずに、高校を卒業できる方法が、見当たらない。普通のことだと思う。

ツイート19の補足:
本当にそう思うし、変えていかなければいけない、かわいそうだと思う。

ツイート20:
理想を言えば、ソクラテス、アリストテレス、ユークリッド、デカルトくらいは数学教科書で説明して、仮定から理論が構成されていますよ、くらいは紹介すべきだと思う。
そうすれば、日本人は非常に合理的で、論理的な国民になるはず。科学の発展は、間違いない。

ツイート20の補足:
ソクラテスは論理の前、裁判でよく聞かされる「合理的な判断」をどうすれば付けられるのかを考えたように思う、弟子のアリストテレスは論理を形にしました。ユークリッドは論理を洗練し、数学で活用しました。デカルトは、「合理的な判断」を洗練しつつ、煩雑な論理学を排除し、実用(科学)と結びつけました。

ツイート21:
発展学習でヒルベルトの公理主義を入れれば、現代数学(大学数学)への壁はなくなり、数学志望生の挫折が極端に減少するだろうし、現代数学が一般のものに近づくし、科学先進国トップは間違いない。

ツイート21の補足:
ヒルベルトの公理主義が現代数学の基礎、発展のエンジンになっています。ヒルベルトが多様な研究成果を上げたのは、まず、公理主義的な基礎付けを研究したからだろうと思われ、それは偉大な先人、ユークリッドなどと同じアプローチであり、将来ある若い人たちには、同様のアプローチを強くお勧めします。

ツイート22:
ちなみに、命題とは、真偽が定まる文、つまり、正しいか間違っているかが、はっきりしそうな主張や意見etc.のことです。
高校数学の教科書でも解説していますが、「数学の文章、式」など自信なさげです。

ツイート23:
例えば、定理、結論、仮定などなど、真偽が定まる文はすべて命題と言えます。ある単位を持った数学に現れるすべての真偽が定まる文は、命題と言えます。定理とか系とか、色々名付けているのは、筆者の主観です。こんなことも指摘しておくと分かりやすいのではないかと思います。

ツイート24:
ただし、命題といえるか微妙な、又は、命題未満の文章、又は、特殊な命題も数学には現れます。定義などは、命題としては根拠として使いづらいけど、誤ってもいない文章です。命題未満の文章は、教科書では条件などと紹介されています。公理、は根拠のない特殊な命題です。

ツイート25:
などということは、数学活用あたりで、公理主義に触れるならば、扱うか扱わないかという微妙な話題だと思います。

ツイート26:
興に乗ってしまった、、のでついでに。対偶を集合で証明するのは、やめた方が良いと思います。A⇒Bとすると、もし、Bでない⇒Aとすると、繋げて、Bでない⇒A⇒B、つまり、Bでない⇒Bとなり、矛盾してしまうので、Bでない⇒Aでない。と簡単に証明できます。なぜ、ベン図を使うのでしょうか。

ツイート27:
命題と矢印で図にしてあげれば、矛盾が命題の真偽両立ということさえ理解していれば、ベン図よりも理解しやすいはずです。

ツイート28:
ちなみに、明確化された論理はすべて図に可視化できるはずです。と思います。目で見えないものは論理的ではないと言えるかもしれません。小学生でも「⇒が繋がったから矛盾」というところに落とせる、白黒はっきり付けられなければ、どんな抽象的で難解な理論も数学として正しいとは言えないわけです。

ツイート28の補足:
この点、考えること(概念)、と幾何(実体)は深遠な部分でつながっているのだろうと思います。

結論として、
高校数学で論理を学びにくい理由は、冒頭でも述べましたが、主に命題の基礎に集合を用いてしまっていることにあるだろうと思います。したがって、数学で他分野にも使える論理的思考力を磨きたい人は、集合を使いこなせることはとても大切ですが、一度集合のことは忘れて、まず、命題と推論の関係を意識して数学を学習したり、数学的な議論を行うと良いだろうと思います。まず、命題の論理を使いこなせ、加えて、集合を使いこなせるようになることが大切だろうと思います。