論理と矛盾、対偶の証明
このページでは、論理とは何かを簡単に紹介します。
論理とは
論理の基本単位は命題です。命題とは、真偽(正誤)が明確に定まる主張のことです。
ある命題が真ならば(⇒)ある命題が真という命題の間の推論関係を展開していくことが論理(理論)であり、論理的に考えるということの骨格になります。
例えば、命題Z「昨日は雨が降っていて月が隠れていた。」という考えを論理的に考えると、命題A「時間は昨日のことである。」、命題B「天気は雨が降っている。」、命題C「天気は曇っている。」、命題D「空に月が見えない。」という命題ABCDに分けられ、命題A⇒命題B(昨日は雨が降っていた。)、命題B⇒命題C(雨が降るときは曇っている。)、命題C⇒命題D(空が曇っていると月が見えない。)という命題の関係に整理できます。
そこで、命題Aと各命題関係が正しければ、A⇒B⇒C⇒Dより命題A⇒命題D(昨日は月が見えなかった。)という命題の関係、つまり結論が正しいことが分かり、命題Zの正しさを明確にすることができます。
一見、つまらない例題のようにも見えますが、例えば命題Zが裁判の証言であったと考えてみてください。命題Zが正しい主張であるかどうかは、その証人の信用性にも関わりますし、判決の明暗を分ける事実になることさえもあるでしょう。そこで、昨日の何時何分は晴れていた、雨が振っていても曇っているとは限らない、曇っていても月は見えるなどと、喧々諤々の論理的な議論が生じるわけです。
上記の例において命題Aや各命題関係(A⇒Bなど)が正しくなければ、命題A⇒命題Dも正しいとは言えません。このように、論理をさかのぼって正しいことを認めなければ議論が成立しない命題、つまり、論理(理論)の始まりの命題を前提(仮定、公理など)と言います。
すべての命題には、必ず前提があります。そこで、命題の正しさを分析する時は、何が命題の前提となっているのかを明確にすることが重要となります。前提を疑うことで論理は正確に、洗練されていきます。
矛盾とは
論理には、矛盾があってはいけません。矛盾とは、同じ命題が真でもあり、偽でもあることを言います。例えば、「すいかは果物です」と「すいかは果物ではありません」という命題は、明らかに両立しない主張ですね。
一方、「すいかは果物です」と「すいかはウリ科なので野菜です」と言われると、一見するとどちらの命題も正しそうに思えます。しかし、前提として「野菜は果物ではありません」という命題が正しいとすると、「すいかは野菜なので果物ではありません」と言えて、明らかに両立しない主張である「すいかは果物です」と「すいかは果物ではありません」という二つの命題が両立してしまいます。
つまり、「すいかは果物です」と「すいかはウリ科なので野菜です」という命題は矛盾をはらみ、両立することのできない命題だったわけです。そもそも、命題とは、真偽(正誤)が明確に定まる主張のことと説明しました。したがって、真偽が明確に定まらない矛盾が論理にはあってはいけないのです。
対偶の証明
逆に、論理展開の中で同じ命題が真であったり、偽であったりさえしなければ、論理は矛盾なく正しいと言えるわけです。つまり、論理自体は、矛盾に気を付けて命題を⇒で繋いでいくだけの図にも書ける単純で簡単なことです。
例えば、対偶の証明をしましょう。対偶とは、「命題Aが真」⇒「命題Bが真」という命題の関係があったときに、「命題Bが偽」⇒「命題Aが偽」という命題の関係のことです。前者の命題の関係が正しければ、後者の対偶も正しいということを証明します。
命題Aは真か偽のどちらか一方なので、仮に、「命題Bが偽」⇒「命題Aが真」であるとすると、前者の命題の関係から、「命題Bが偽」⇒「命題Aが真」⇒「命題Bが真」となり、命題Bは真でもあり偽でもあることになり、矛盾します。したがって、仮定である「命題Bが偽」⇒「命題Aが真」が誤りなので、「命題Bが偽」⇒「命題Aが偽」が正しいことが分かります。
以上について、より詳しくは、高校数学マスター ~高校数学を独学するための勉強法~の以下のページを参考にしてみてください。
論理とは何か、命題、集合と推論規則について
矛盾と背理法について
対偶の証明について
まとめ
このように、論理の基礎自体は単純で明快なことです。しかし、考えること、論理的に考えることは難しく感じます。それは、主に論理が難しいのではなく、他人や自分が感じたり考えたりしていること、未知であったり曖昧であったりすることを、分析して明確にして命題にまとめることが難しいからです。
基本的な論理、理論の展開とは、曖昧な考えを命題にまとめ、さらに命題を分析して新たな命題を見つけ出し、ときに前提を覆しながら、命題と命題を⇒(ならば)で繋げていくことに尽きます。
現代でもほぼすべての科学や学問がこの論理を基礎として成立しているので、論理の枠組みを理解さえすればその後の勉強は大いにはかどるはずです。私の感じるところでは、生徒が議論する内容を先生が黒版に図示するなどしてきちんと指導すれば、早ければ小学生高学年あたりからぼんやり理解し、中学生あたりである程度は明確に使えるようになるのではないかと思います。
論理に対する深い理解は、早ければ早いほどその後の勉強の伸びしろは増えるので、学校教育ではできる限り早めに教えるべき課題と言えます。
公開日:2017/8/8
修正日:2019/6/4
最終修正日:2019/6/4